神宮寺神宮寺に着きました。奈良東大寺修二会(お水取り)の「お水送りの寺」として知られています。 東大寺二月堂下の若狭井の水源は根来川の鵜の瀬であるとされ、毎年3月2日には送水神事が行われています。 下根来八幡で山八神事を行い、ついでこの神宮寺で修験者の修二会、達陀(内護摩)行法、鵜の瀬で送水文を読み、水切り神事を行って、香水を流すのだそうです。 また、ここから近くの若狭彦・若狭姫両神の神宮寺となっています。 ずーっと続く参道がすごく素敵なのです。 とても気持ちがいいです。 この参道の正面に入口があります。 門が閉まっています。 看板に何か書いてあります。 残念です。 お水送りの準備のためここから中へ入ることが出来ないのです。 玄関の前で参拝させて頂きました。 それにしても、せっかく来たのにショックです。 諦めきれない私は、木の門の隙間から除いてみました。 神様、やんちゃな行為お許しを。 あっ、見えました。 芝生の前の素晴らしい本堂です。 横に回ると、少しだけ見えるのでみんな背伸びして一生懸命見ています。 一日違いでとっても残念でした。 本当は、『閼伽水』も見たかったな。 でも、雰囲気だけでも味わえてよかった。 ところで、「若狭神宮寺の由来」には、 このあたりの地名が韓国語に由来を持つという話を聞きました。 ワカサ→ワカソ(韓国語で行ったり来たり) つまり、日本と朝鮮を結ぶ窓口 奈良ナラ→ナラ(韓国語で国の意味) 根来ネゴリ→ネ コーリ(韓国語で私のふるさと) この地方を切り開いたのが若狭彦。 その子孫は和氏。 (もしくは私氏の誤りではないかという説もあります。) 紀元前、銅鐸を持った先住民がナガ族(長尾明神)。 神宮寺はその2つの神を祀っている。 先住民ナガ族を、渡来系の若狭彦が滅ぼし、この地方の主になったのではという人もいます。 どちらにしても、当時は先進国である朝鮮半島からの入口であったのは間違いないようです。 海を渡ってきた文化や技術が若狭を通って奈良や京都の都へ運ばれたのかも知れませんね。 そういえば、奈良や京都から一番近い海がこの辺りです。 美味しい海産物も、鯖街道を通って都へ運ばれたのでしょうね。 さて、このあと、次の目的地である2キロ先の鵜の瀬へ向かいました。 |